空母赤城と山本五十六大将

赤城は、大正12年、巡洋戦艦として起工された。建造最中、ワシントン軍縮条約が締結され、廃艦になる所を、戦艦加賀とともに、航空母艦として改造され、アメリカのサラトガ、レキシントンと同クラスの大型空母として完成した。就役当初は、三段甲板を有するユニークな姿であったが、昭和13年に改装され、一段の飛行甲板を持つ近代空母として生まれ変わった。

開戦・真珠湾攻撃

開戦時は、空母機動部隊の旗艦として、南雲中将が座乗。単冠湾(ヒトカップ)からハワイまで極秘に航海を行い、運命の昭和十六年十二月八日、停泊中の米国戦艦群をことごとく撃沈あるいは大破させ、日米開戦の火蓋が切られた。日本の航空艦隊は、旗艦赤城以下、加賀、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴の6隻の空母であった。日本艦隊の主力空母全てである。それまで、日米とも、艦隊の主力は戦艦であり、空母(航空機)はあくまでも補助兵器である、という、いわゆる大艦巨砲主義が主流の考え方であったが、停泊中とは言え、航空機によって戦艦を撃沈しうる事が実証された。十二月十日のマレー沖海戦では、航行中の英国戦艦(レパルス、プリンスオブウエールズ)を航空機で撃沈し、戦艦の時代が過ぎ去ったことが実証された。

開戦初頭、現有主力空母全てでハワイの米太平洋艦隊を攻撃する、という作戦は、当時余りにも危険だということで、軍令部は大反対だったのだが、連合艦隊司令長官山本五十六大将が強行に主張し実現したものである。

空母機動部隊、快進撃

その後、南雲部隊は南太平洋を中心に暴れまわり、無敵艦隊の名を欲しいままにしたが、アメリカ海軍も、劣勢ながら、空母機動部隊が活動を開始し、4月には空母から陸上大型機が発進、日本本土を爆撃して中国大陸に着陸するという離れ業を行った。そして、珊瑚海海戦で日米の空母対決が起こった。日本側は翔鶴が大破、アメリカはレキシントンが撃沈、ヨークタウンが大破した。

そしてミッドウエイへ

日本は、この時点で、日米戦の展開を見失っていた。もともと、日本はアメリカに勝つ見込みなど初めからなかったのである。唯、南方の資源地帯を占領し、当面の戦争資源を入手して戦力の持続を図っていれば、自ずから道は開けるという、全く他力本願なものだったのだ。では、どの様に道を開くつもりであったか。ずばり、同盟国のナチスドイツの勝利を当てにしていたのである。そのため、第一弾作戦として南方を占領するところまでしか、開戦前には想定していなかった。
ところが、第一弾作戦として案外簡単に南方資源地帯を占領してしまったので、第二弾作戦をすることになった。

ここで再び軍令部と連合艦隊の意見が対立する。軍令部は米豪遮断及びインド洋に進出してドイツと結ぼうという作戦。一方連合艦隊、というより山本長官は、太平洋東正面でアメリカ機動部隊を撃滅し、早期決戦でアメリカと和平しようとの作戦であった。

ここでも山本長官が押し切り、アリューシャン・ミッドウェイ作戦が決定された。2流空母でアリューシャンを、一流空母でミッドウェイを襲い占領。米空母をおびき出して一気に撃滅する。こうしてミッドウェイ作戦は決行された。

ミッドウエイ海戦

しかし、おごり高ぶった日本海軍は、機密保持もいい加減で、すべてアメリカに筒抜けであった。日本機動部隊は、赤城、加賀、蒼龍、飛龍でミッドウェイを空襲したが、ミッドウエイの航空部隊は全て待避しており殆ど効果なかった。攻撃隊を収容最中に基地航空部隊の、続いて米空母部隊の猛攻を受けた。

空母部隊の雷撃まではなんとかかわし、米艦隊を攻撃すべく準備が殆ど完了した時、急降下爆撃機の攻撃を受け、赤城、加賀、蒼龍が被弾、飛行甲板に並んだ飛行機に引火、誘爆を起こし大火災となった。残る飛龍は直ちに攻撃を開始、ヨークタウンを撃沈したものの、飛龍もやがて被弾、大火災を起こした。

ここに至り、空母部隊の後方300海里の大和艦上は激論の末、山本長官が撤退を決断、火災炎上中の赤城、飛龍を撃沈処分し、(加賀、蒼龍はすでに沈没)、戦艦部隊は瀬戸内海に逃げ帰った。
本作戦は大和の初陣であったが、空母部隊全滅の報が入るや、大和を始めとする戦艦部隊はなすすべもなく退却したのである。この現実の前に、戦艦はもはや空母の敵ではないことが実証された。

ミッドウエイ海戦の結果、太平洋の日米の海軍勢力は均衡状態となり、生産力に勝る米軍がやがて日本軍を圧倒するようになり、ガダルカナル、マリアナ、レイテ、沖縄戦と、日本は敗戦へと転がり落ちて行く。

もともと日本は、アメリカに勝つ算段はなかったのであるから、当然の帰結である。仮にミッドウエイ海戦に勝利しても、アメリカは日本軍の補給を絶つ作戦に出るであろうから、簡単に奪還されたであろうし、日本の敗戦が半年ほど遅れただけであったと、私は考えている。

さて、赤城であるが、赤城以外の艦長は全て艦とともに沈んでいったが、赤城艦長青木大佐は脱出したため、海戦後左遷されている。山本司令部、南雲司令部は敗戦の責任を全く問われなかったのに、である。これも、日本海軍、というより当時の日本の体質を現しているものである。

参考図書

「ミッドウエー」 淵田美津雄、奥宮正武
「真実の太平洋戦争」 奥宮正武
「凡将山本五十六」 生出寿
「天皇の昭和」 三浦朱門
「連合艦体の出撃」 伊藤正徳
「米内光正」「山本五十六」「井上成美」 阿川弘之

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